理念
剣道専門オンライン学院
の理念
すべては、我々の曾祖父「斎村五郎」から始まりました。
彼は、剣道の歴史上これまで僅か五人のみの範士十段授与を受けたうちのひとりです。
福岡県に生まれ、大日本武徳会・武術教員養成所第一期生として修行し、戦前戦後を通じて多くの機関にて(警視庁、国士舘、早稲田大学、皇宮警察、日本大学、亜細亜大学等)の師範を務め門下生を育成し、現代の剣道界に偉大な足跡を残しました。
私たちは、その偉大なる曾祖父である剣士 斎村五郎を顕彰し、故人が貫いた剣道の本質を求めるその魂を、現代において確実に残しつつ、世の多くに広めたいと考えています。
「白雲」は、斎村五郎が東京都世田谷の自宅庭に自身の稽古場として建てたとされる道場「白雲館」から命名しました。
当学院の学院長、岡田守正教士八段は、警視庁において斎村五郎に師事し、薫陶を受けた岡田守弘範士の孫にあたります。そして現在、守弘範士が創設した85年の伝統を持つ道場「尚道館」を三代目館長として受け継いでいます。
岡田家三代に渡り受け継がれている斎村五郎の教えをもとに展開する剣道普及と上達に向けたコンテンツとコミュニティの場を提供します。
『齋村五郎先生の教訓』岡田守弘著
~「現代剣道百家箴」より~
剣聖と謳われた齋村先生は昭和44年惜しくも他界されたが、先生は私にとって終世忘れることの出来ない剣道の恩師であり、人生の師表(模範・手本)でもあった。大正12年警視庁巡査を拝命した私は、同15年警視庁剣道助手となり、以来先生の下で32年間を過ごし、幾多の貴い教訓を受けた。
その間最も印象に残る一事は、昭和6年教師となり、二十年を経たある日、凡(およそ)7分間稽古を願った時のことである。先生は私の近間の稽古を矯正しようとの意味に於いてか、前半は私が打ち間に攻め入る心の起るところ、間合を外すこと二度、さらに攻めようとする心の起りを打たれ3・4分の間、同じことを繰り返して引きまわされ、私は全く打ち間にはいれず、後半、やや疲労を覚えた頃、先生は敢然(かんぜん)と攻勢にかわり、一足一刀の打ち間からの面・小手・突きの打突を、前後合せて十幾本かの模範技を示して下され、如何(いか)に間合が重要であるかを、つぶさに教えて下さったが、私は残念ながら一本も打ち返すことが出来なかった。あの心技体一致の妙諦(みょうてい)(神髄)による感激は、二十三年を経た今日でも忘れることが出来ない。
稽古終了後お礼を申し上げると、先生は、「これが無言の教育で本当の剣道だ。君は左足が横踏みで姿勢が安定していない為に間合が近くなるのだから、この儘(まま)の稽古では六十才を過ぎると急に衰える。剣道は六十代が全盛で限界は八十才位である。今からでもおそくはない初心に返り、切り返しと打ち込みのやりなおしをするように。」と諭(さと)された。
私はまた、先生の最も得意とする面技について、学生時代から既に体得しておられたものかどうか伺ったところ、先生は当時を回想して次のように話してくだされた。「僕は武術教員養成所の学生時代不器用で、先生方から嫌われたものだ。卒業後武道専門学校助教となり、友人と共に東北地方に武者(むしゃ)修行(しゅぎょう)の途次(とじ)、仙台の富山(とみやま)圓(まどか)先生を訪ね、稽古をお願いしたことがある。当時は下駄履きであったので、長い旅の為に、その歯はひどく斜めに減っていた。これを見た富山先生は、「このように下駄が外減りになっている。こんな減らし方をするようでは、大切な足の運びも充分ではあるまい。これではまだ私に稽古をつけてもらう資格がない。この下駄が平らに減るようになったならば、また来るように」 と言われてすげなく帰されてしまった。あの時の貴重な教訓を肝に銘じ、それ以来は専(もっぱら)足の修錬を続けたものだ。」
また先生は次のようにも言われた。「三十才の時上京して最初に中山博道先生の居合道の足・腰と掌中の作用とを学び、これを剣道に活用し、特に中段からの面技に主力を注いだ。中段からの面技の場合最も大切なことは、機会に当って打ち間から左足を踏み切り、右足を踏みつけると同時に左足の踵をやや下げながら、足と腰を残さぬようにするどくすりこむ。そして技のきまる瞬間両手を前方に伸しつつ、掌中の作用を以て、額からすり込むようにして強く打つのである。剣道は前から見ると何人も立派に見えるものであるが、後ろ姿の立派な人は極めて少ない。それは左足と腰の安定を疎(おろそか)にしている為である。剣道を学ぶものにとっては、足・腰の修錬が最も重要のことである。」
齋村先生が道場に於ける姿勢態度の立派なことはつとに有名であったが、日常の堂々とした態度歩行と、稀(まれ)に見る素晴しい打突の妙諦は、富山先生と中山先生の足・腰の教訓を終始活用されていた故(ゆえ)ゆえであることを強く感じたのである。私は先生の教訓により、横踏みの足に留意精進を続けたので、漸く前向きになり、足の運びが軽快に出来るようになった。喜寿(きじゅ)も過ぎ、前途幾許(いくばく)もない人生ではあるが、多年居合道で鍛えた足・腰で、本当の剣道を楽しみたいと心掛けている。
ありし日の齋村先生を偲んで一詩を捧げる。
交鋒威武露堂堂 英俊豪毅絶器量
德覆神州伝国粋 恩師遺訓放清光